おふざけには教養と技術が必要です、「絵画の冒険者 暁斎」。

日本画の展覧会でたまーに名前見るな、ぐらいの意識しか無かった河鍋暁斎。なんとなく面白そう、ぐらいの意識で行ってきました。
はい、すみませんでした。狩野博幸さん風に言うなら「文化系女子(笑)」でした、私。この人も知らんと絵が好きとか言っちゃいかんね。
まず、絵がめちゃくちゃに上手い!膨大な下絵帖のほんと小さな絵でさえ蔑ろにされてない。着物の柄なんて驚愕の一言。どれだけ描きこむんだ。上手い人ってのはちゃんと練習してるんだ、てのがよく分かるいい見本です。あと、「いいギャグ漫画家はデッサンがきっちりしてる」のいい見本です。
で、その技術に裏打ちされて描かれる奔放な発想!「放屁合戦」とかね、こういうアホなこと、考えて戯れ絵を描く人はまあいたかもしれませんよ。てか平安時代の絵巻とかでもあったような気がしますよ。けど、ここまで技術を持っていながら、これだけ楽しげにシチュエーション・オブ・放屁を描く人はそうそういないでしょう。上手い人だから崩して描いた絵でも動きがあって非常に楽しげなのだ。あと、妖怪の絵なんかもね。よく見たことないものこれだけ面白くいきいきと描けちゃうものだ。ほんとは猫の踊りやら小天狗やらの一つぐらいは見たことあるんじゃないか。もしくは一回閻魔に会っちゃってたりね。幽霊は確実に出会ってるね。とんでもないことしでかした女に化けて出られているに違いない。でないとあんな静かな怨念描けないよ。そして幽霊が少しきれいであったろう風情が漂っているのも、実体験の匂いがします。自分の昔の女を完全に醜くは描きたくないものね。とか勝手に妄想。
しかし羽織の裏地、あれはきついです…あれ、ほんとに処刑場見てきたのか…それとももっと怖いところで見てきちゃったのか…やめてやめて。久し振りに絵を見て吐きそうになった。これ着てた人、その筋ではさぞ名の知れたお人であったろうに…この裏地と同じような姿になり果てたのかも…。
その他気に入った作品いくつか。
「枯木寒鴉図」…枯れ木の枝に鴉一匹。それだけなのに、黒一色しか使われていないのに、他何も描かれてないのに、なんでだろう、奥行きが凄くあるのですよ。墨って凄いなあ。
「地獄極楽めぐり図」…これ、図録には入ってないけど、表紙なのか表紙裏になるのか、装丁の意匠が凄くきれいだったのですよ。鮮やかな地色に蝶々が一匹すーっと飛んでて。こんなデザイン的なことまで暁斎さんやってるんだったら、もう天才というほかないですよね。
「大仏と助六」…大仏の唇の上で見得を切る助六。なんでこんな絵描こうと思ったんだろう…。何これ、哲学?もしくはお釈迦様の手のひらの上の悟空状態ってこと?しかし助六、大仏の鼻息により飛ばされる3秒前。見得切ってないでしがみついてー!
豊干禅師寒山拾得図」…拾得の顔が志村けんにくりそつで、「面白い顔」の定義ってそんなに変わらないのだなあ、そして志村けんもきっと天才なんだろうなあ、と思いました。
「五聖奏楽図」…なんとなく「聖☆おにいさん」を思い出したよ。
「横たわる美人と猫」…暁斎の描く女性は、本当に美人だ。大体において日本画の「美人画」って、「あー、その時代の美人ってそんな顔だったのねー…」で自分を無理やり納得させて見ているのだけど、この人は現代でも十分通用する美人さん。見られてないつもりで猫を見てるけど実は見られてる、てな構造も色っぽさに拍車。
「美人観蛙戯図」…この人もまた美人さん。しかし。どことなく薄倖のかほり。蛙を見つめる目さえ「あたいにもほんとならこんな風に遊んでる坊やがいたもんだよ…」に見えてしまう。けど三角座りであなたを見つめる蛙さんもいるんだから、笑ってよ、蛙のために、ねえ…。
地獄太夫と一休」…鳴りもしない三味線弾く骸骨。骸の頭の上でアホ面さらして踊り狂う一休。群れ群れる小骸骨のダンス。全てを冷めきった目で見つめる地獄太夫、真性ドS。
他にも素晴らしい絵がありすぎてねえ。もう一回行きたい。そして京博特別展覧会の好きな所は、キャプションが超ひとりよがりなところです。「こうこうこういうバックグラウンドがあって…」の部分をすっ飛ばしていきなり「○○には驚く他ない。」とか言い出す、主観満ち満ち愛たっぷりな感じがたまりません。こっち振り返ってる幽霊の絵に対して「幽霊の見返り美人、そう呼ぼう。」とか。唐突にそんな提案されても、こっちも「うん、そう呼ぼう。」と返せるほどに、学芸員さんの愛が伝わってくるところが好きなのです。