信じる者は救われる、のでしょうか、岡嶋二人「クラインの壺」。

風邪をこじらせて声が出せず、しばらく本ばかり読んで引きこもっておりました。
いくつか読んだものの、面白いということは分かりつつも質量とも自分の中で消化しきれないものが多かったのですが、これはまあさくっと読めて思ったよりも面白かったのでちょっと感想を。
岡嶋二人は「99%の誘拐」しか読んでおらんのですが、あれよりも面白い。キャラクター造形とかはあんまり工夫がなくてつまんないのですが、私はこういう最後に梯子をはずされるような構造のストーリーって、絶対に自分では考え付かないだろうから、それだけで感心してしまう。
この本が書かれた「ファミコン」時代には超超ハイテクであったであろうゲームの世界が描かれていますが(「テラ」が天文学的な単位としてかかれてますからね)、今だと本当にあってもおかしくないんですよね。てかマトリックスですよね、やってること。何が現実かわかんない、という。でもそれって気付かなければそれなりに幸せなんですよね。知ってしまったからこそ出口を見つけなくてはおかしくなってしまうけど「クラインの壺」はどこまで行っても「クラインの壺」。だから主人公はああいう方法で無理やり出口を作らざるを得ないのです。誰でもネオになれるわけではないのです。
脳で考えただけで欲しいものが出てきたりコミュニケーションが取れたり、てな機械が出来ないかな、とか考えたことがあるけど、それも脳の変な中枢刺激されて「あるつもり」になってすべて終わってる、てなオチになりそうですね。そう思うと「クラインの壺」での主人公の「疑う気持ち」だけが「信じられるもの」なんでしょうか。変に逆説的で気持ち悪いですね。