しんどいけど聞いといたほうがよいこともあるんだろう「ラブリーボーン」。

友人と見に行ったのですが、最初から横のカップルがやばいな、と思ってたんです。完全に映画見る姿勢じゃなくいちゃついてるし。
案の定、結構話声が聞こえてくる。こりゃ失敗だ、と眉をひそめていたら途中で大分静かになって、良かった良かったと思ってたのですが、どうやらそれは友人が肘鉄をいれた成果だったようで。ありがとう、かっこいいよ貴女。

さて、感想ですが、またネタバレで。


全く何の予備知識もなく見に行って、「なんとなく小説っぽいな」と思ってたらやっぱり原作は小説なんですね。なんか日本だったら伊坂幸太郎とかこういうの書いてそう。
小説版だったらがっつり「レイプされたうえで殺された」というのが描かれているみたいで。映画版だと、そこの残酷な部分はものすごくぼやかしてあって、「レイプ」という言葉やそれらしき映像は全く出てこない。で、まあそういう辛いものは見たくないのでそこの描写がないのは助かったんですが、それがあるとないとでは、途中の妹のキスを見て泣くシーンやスージーの魂が戻るシーンの意味、あと「天国とこの世の間」の意味が全然違うものになってしまうんじゃないかなあ。いや、まあ、ああいう状況になってるんだったら、考えたくないけどまあそういうことなんだろうな、と想像はつくのですが、やっぱり明確にされるのとされないのでは受け止め方が違ってくるし。「もしかしたらただの快楽殺人者かも」という一縷の希望も持ちたいし(快楽殺人に希望を持つのもどうかと思うが)。
この描き方では、最後にスージーが自分の体が発見されることよりも初恋の人との幸せなキスを選んだことの重さが伝わってこなくて、「スージー、あんたの体捨てられてる!おい、今こいつ捕まえないとまた不幸が生まれてしまうよ!」っていうのが気になってしまってしょうがなかった。でも、もしそういう残酷な運命がきっちり描かれてたら、そりゃあやり残したことと言えばキスでしょうよ、今更自分の死体を明るみに出すより魂だけでも幸せを感じたいでしょうよ、殺人犯の今後より最後の自分の夢でしょうよ、って納得できたと思う。で、その最後の夢が、殺人犯を殺す、から、好きな人とキスをする、に変わったことをもっと素直に「明るいこと」と思えた気がする。
そして、天国とこの世の間にいるのが、「まだ本当の恋も知らずに男の一方的な欲望の犠牲になったうえで殺された少女たち」(一人年嵩の人もいたけど)なんだと思うと、あの非現実的な世界の妙な美しさと不気味さが急に生々しいものとして迫ってくる。恐怖や憎しみや後悔や懐かしさや憧れ、少女たちの思念が作り上げた世界。海に浮く大きな虹色の不思議な球体は何だろう、と思ってたら、最後に殺された少女のうちの一人が持っていたボールだと分かってちょっとぞっとした。
というわけで、そう考えるといろいろ納得できる点はあるのですが、なんかジャクソンさんが変な心遣いをみせちゃったおかげで言葉足らずになってしまい、画竜点睛といいますか、「そう考えると」の部分の説得力がなくなってしまって、ふーむなんだかいろいろ腑に落ちない部分が多いんだけど人生って腑に落ちないものってことなんだろか、てな無理やり自分を納得させようとする感想で映画館を発つことになってしまった。
あと、家族のいろいろが描かれているようでいまいち中途半端だったような…。父については細かく描写しているんだけど、おかんは何故家出するほどに追い込まれたのかとか、妹が「優等生」に成長した裏にあった思いとか、その辺はもっと知りたかったところ。ただばあさんがひたすらにかっこいい。あとクライマックスの妹と。
で、犯人役、いやあ怖い。気持ち悪い。しかしあのオチはいかがなものか。まあ「あいだの世界」にも氷柱が出てきたから、きっとそれが作用して、てことなんだろうけど。にしても腕折れ曲がりすぎだよね。

終わってから友人に聞くところによると、隣の残念カップルの女が喋ってたことは、「えー、この映画難しいー、どういうことー」だったそうです。ほらジャクソンさん、やっぱり遠慮せずに言うべきことは言っておいたほうがよかったんじゃないでしょうかね。まあ多分彼女はそれを言ったとしても「難しいー」って言ってた気がしますが。