泣いたから負けなんですが、「おくりびと」。

まあ見とくよね。あれだけ言われちゃね。という訳で見に行きました。

「泣ける映画」と「大好きな映画」てのはまた別もんなんだな、と思いました。
アイライン無くなるぐらい泣いといて偉そうに何を言ってんだ、て感じですが。
いや、そりゃおくられたら泣いちゃうに決まってんですよ。そんなん反則ですよ。ずるいですよ。と恥ずかしさを隠さんがために負け惜しみます。
で、まあ良く出来ていらっしゃるんですが、「よかったわー」と手放しで言えない気恥ずかしさが残ってしまうというか…なんなんでしょ、私の資質の問題?
終わってから、一緒に行った方と「東京の夫婦というのはあんなこっぱずかしい会話をするもんだろうか」という談義をしたのですが(ただの小山薫堂の好みなのか?)、たぶんあの夫婦にあまり愛着が持てなかったのが原因かな。というか妻。あんだけ酷い、いや、もう人間として最低の言葉を浴びせかけといて、何でなんにもなかったようにしれっと戻ってこれるんだ?夫もいいのかそれで?というのがずっと引っかかって。
あと、モックンのコミカル演技、あれ必要かね?無理に「笑いあり、涙あり」みたいにしてくれなくてもいいのになあ。まあその辺が「よくできてる」ところなんだというのは分かるんだけど。
あと、チェロ、いいんだけど、音きれいすぎない?と気になりました。だって長年ほったらかしといた子ども用チェロであんなステレオー!ないい音出されても説得力ないでしょ。もっと錆びついてても味がある感じの音のほうがよかったなあ。
でも、おくってるモックンはきれいでしたね。やっぱり「弔い」っていってしまった人のためにも残された人のためにも大切なんだな、と。で、それを見た人がまた「こうしてもらいたい」って思うのは、ちょっとは死ぬ時の心の支えにもなるのかもしれない。峰岸さんがものすごくきれいになってたの見てそう思いました。
おくってないところでもいいところはありまして。余貴美子さんの「おねがい、おねがいします」はぐっときました。個人的には一番よかったところ。あれだけでも十分だと思いました。主役が端正な分、脇役の人たちがみんな味のある顔の人たちばかりで、ぐっとしまりました。しかし妻がでてくるとなんかぺろんとするんだよね。まあかわいい若妻担当だからそれでいいのか。