美味しいことは美しいことです「めがね」。

昔、テレビで超巨匠の映画における食事シーンが紹介されていて、それはもう「人間止めたい…」と思うぐらい非常にあさましいものだったのですね。巨匠曰く「人間は食事をしている時が一番醜い」と。真実だな、と思い、今まで生きてきたのですが。
「めがね」での、食べる人たちは、非常に美しい。いや、美しい、というか、とにかく幸せそうなのです。そして幸せな光景というのは美しい。あ、やっぱり美しいのか。
「食べる」ってのは生きることの根っ子なのでありまして、食べなくては生きていけないのが人間です。だから、巨匠が言う「一番醜い」部分であるのも確かに真実なのですが。そうなってしまうのって、いくら豪華でも「生きなきゃいけないから食べる」、云わば「餌」としての食事になってしまってるから、なんでしょうね。
同じ必須のものとしての食事でも、「めがね」の人たちは、ただ生きるために食べる、んじゃなくて、幸せになるために食べる、そんな食事を楽しんでる気がします。食べることで、心が、人生が豊かになっていくというか。
それにしてもなんて美味しそうに食べるのでしょうか、この人たちは。映画館でパンをもぐもぐとやりながら見ていたのですが、湯気の出たご飯が食べたくなりすぎて、なんだか涙が出てきました。思わず帰ってからにゅう麺作ってしまった。以前、「お金が足りない時に何を節約する?」という心理テストで「食事」と返したら「食事をおろそかにする人間は家族をおろそかにする人間」という恐ろしい答えで、大層めげた記憶がありますが、あながち間違ってもない気もします。ケチったりもしますが、ご飯は大事だし大好きですよ、はい。
それから「旅人」と「迎える人」。この違いはなんなんでしょう。引き際が見えるか見えないか、人を残していけるかいけないか、てことなのかな?往々にして、旅人とは暖かくてそれでいて冷たくて、仲間と孤独を知っている者なのでしょう。スナフキン然り。しかし、順応の遅い(遅かったであろう)人がことごとく「迎える人」となり、ヨモギくんのごとくたそがれも上手くて馴染むのが早い人間の方が「旅人」だっていうのがなんだか逆説的で面白いな。サクラさんはそしてすべての場所で旅人で、すべての場所で待たれていて迎えられるんでしょうね。美味しいもの食べて、才能無いなりにたそがれてー、な旅、ぐらいならお金と時間さえあれば実現可能だとは思うのですが、待っててくれる人がいる、そんな場所、そんな時間ができるかどうか、それが旅人の才能なんでしょう。なんとも羨ましいです。